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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

人は人を簡単に裏切ったり踏みにじったりするという話

若干前エントリの続き。

人は人を簡単に裏切ったり踏みにじったりするのです。
つくづくそう思う。
本当にあっさりと。いとも簡単にこういうことをする。
カイジじゃないけどさ。

奴ら言うんよ。
「ごめんなさい」「すみませんでした」

そんなこと1ミリも思ってねえからな。
そもそもどうしてこんなことになったかというと、どうでもいいと思ってるからなんだよ。
こいつのことはどうでもいい。そう思ってるから平気で蔑ろにしたり、踏みにじったりできるのだ。

本当に悪いと思っていたら、本当にすまないと思っていたら。
もっと早い段階で自分から謝る。
本当にそう思っている人は、そうする。

こんなタイミングで、人に言われて出たお前のそのゴミみたいな「ごめんなさい」に、価値なんかねえんだよ。

本当にまー呆れるよ。よくそんなこと平気で言ったりやったりできるなぁと。
そんでそういう奴に限ってヘラヘラスイスイ、楽しく生きてんだよな。
理不尽だねい。

そういうのはたくさんいるんで、もうそんなに落ち込まなくなったかな。
でも、「あ、はい。そうですか」って笑って許して流せるほど頭イカれてないんで、4回死んで地獄に落ちろカス野郎と思うし、金輪際関わりませんけど。

まぁでもさ。

人を裏切ったり、蔑ろにしたり、踏みにじったりしたことは歌にならない。
けど、裏切られたり蔑ろにされたり、踏みにじられたことは歌になるんだ。

別に人を裏切ったり踏みにじったりするやつでも上手にギターを弾けたりドラムは叩ける。
でも、踏みにじられてきた人を救うような詞は書けないんだ。
歌は創れないんだよ。

山中さわおも、安田貴広も、裏切られてきた、踏みにじられてきたからああいう歌が創れるんだと思う。


踏みにじられたことは、辛くて痛くて悲しいことだけど、
裏切られたことはとっても悔しいことだけれど。

それは人を信じた結果なんだ。
人に歩み寄ることを諦めなかったということなんだ。
それは確かな事実なんだよ。
結果はこうで、こうなってしまった原因はいくつもあれども。
人を信じたこと、歩み寄ろうとしたこと、それだけは事実なんだ。
誰がなんと言おうと、何がどうであろうとね。


だから胸張るのさ。
誇るんだ。立派じゃないか。

これから先もたくさんたくさん、裏切られて、踏みにじられて生きるだろう。

報われることなんかないかもしれないね。
でもまぁ、下らない人間に裏切られたショックより、

「あれ、ということは俺人を信じたってことじゃん。歩み寄ろうとしたってことじゃん」

って気づいたときの

「自分けっこうすごい人間だな」

という自己肯定感のほうが不思議と上回っているので、今は良しとしようか。
たとえそれが認知的不協和によるものでも。

というわけで、これから先も人を信じて、裏切られて、歩み寄って、踏みにじられます!
上等!かかってこいや!