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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

はみ出し者を気取っていても、本当は嫌われる勇気なんてないんだ

自分は、日本社会でやってけない、人とうまくやってけない人間だと思う。
異端児。
まわりの色に馴染まない出来損ないのカメレオン。
でも、でもね。
人の目を気にしてしまったり、言いたいことを我慢してしまったり、人からどう思われてるか不安だったり、するんだよ。
そしてそれが、すごくカッコ悪いなぁと思うんだ。

人に嫌なことを言われても、頭に来ることがあっても、我慢することが多い。そしてグチグチ悩むことが多い。
よく優しいだとか、お人好しだとか言われるけど、そうではなくて、多分嫌われたくないだけなんだ。自分が傷つきたくないだけ。
余計なことを言って、もっと悪い状況になるのが怖いだけなんだ。

他人にそういうことを偉そうに言われても、「あ?うるせえな。てめーと一緒にすんじゃねえ」としか思わないけど、最近は自分自身でそう思うようになった。
そしてそれを認めたとき、すげーかっこわるいなと思った。
「人に嫌われたくないから言いたいことを我慢する」ってかっこ悪いなと思った。
それでTwitterとかで愚痴言うの、陰でコソコソ悪口言ってるのと同じ部分があるんじゃないかと。
あれだけ嫌いだった連中と同じじゃねえかって。
(もっとも俺は、複数人での悪口大会みたいな卑怯なまねはしないと決めたけどね)

そういうのはもういいじゃないかと思った。
別に、誰に嫌われても、陰で何言われてももういいじゃんって思った。
それは、今のうちの職場が想像以上の陰口天国で、善人のフリしたクソみたいなのがたくさんいて、そういうのを見て、そう思ったのだ。

職場の昼休みには、それぞれグループでご飯を食べたりしている。
俺は、会社の屋上……は閉まってるので、その前の階段で弁当食べてる。ひとりで。
そしてギターの練習をする。

実はこういうのに憧れていた。
漫画などで、昼休みひとりで屋上で弁当食べたりしてるのに。
高校時代は、教室から出ていく勇気がなかったから、自分の席で弁当を食べていた。ひとりで。
人の目を気にしながら。
これは正直言うと辛かったと思う。
大学に入れば、ひとりで飯食うのなんて当たり前で、なんでもないことなんだけど、
「学校」「クラス」という閉鎖空間では、非常にきまりの悪いことだった。

会社の階段の踊り場で弁当を食べるのは、居心地は悪くなかった。
友達でもない人と仲良しごっこするよりは、疲れないな。
と思った。
やっぱり自分はこういう人間なんだなぁと思う。

変わってきたところは、もう、人の目を気にしながら生きるのはやめようと思い、少しずつだが、気にしないでいられるようになってきた。
言いたいこともちょっとは言えるようになってきた。

でも思うよ。
陰で悪口言われてるんじゃないか。
そんなことは思うよ。自分を守るために人に気を使うしね。
はみ出し者を気取ってても結局、はみ出すのが怖くて、まわりの目を気にしてしまうんだ。
右へならえ!右向け右!なんてしたくねぇと思いつつ、やってしまうんだ。きちんとできてるか気になってしまうんだ。
かっこ悪いな。

それでも、少しずつ少しずつね。
はみ出してもいいじゃないか。嫌われてもいいじゃないか。
陰でコソコソ言われてもいいじゃないか。
それはその程度の場所だったってことさ。

今ここに俺の居場所がなくても、どこかに必ずあるってまだ信じてる。
探すことを諦めなければ、きっと見つかるって。
まだ信じてるんだ。

それに、今の俺にはギターがあるのが大きい。
これは完全に自分のために時間を使っているという感覚が大きいし、練習すればそれだけ前に進む。
内輪のおしゃべりは安心を産むけど、自分自身は前には進まない。

それに、ギターを弾いている時間は、世界のどこかの誰かとつながっているような感覚が、僅かながらある。
微かにだけど。
これを弾いていれば、この先どこかで誰かとつながる、という希望も感じる。

少しずつ。
言いたいことを言えるようになって、人の目を気にしないようになれたら。
やりたいことをやれるようになったら。

そのためには、結局不安や恐怖を乗り越えてやっていくしかないんだろうなぁ。
頑張って思ったことを言う、言わなきゃいけないことを言う。
それやっていかなきゃダメなんだろうな。

変えていこう。でなきゃ一生このままだぜ。
うまくできなくてもいい。無様でもいい。
笑われたっていいから。

ということで。
明日職場でワンアクション起こします。
小さいことだけどね。


それでは。おやすなみ。