生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

「この世界の片隅に」感想 ~始まりは誰かの代わりだったとしても

この世界の片隅に
見ました。
原作漫画も読んでいます。
漫画&映画、感想。
僕が思ったことを。


この世界に居場所はあるということ。
そしてそれは、自分の手で作るのだということ。
それが生きるということなんだな。


すずが北條家に嫁いだのは、誰も望んでなかったし、誰からも望まれてなかったんだと思う。
このへんは周作とりんさんの関係を考えると、そう思う。

望んでいなかった場所。望まれていなかった存在。
それでも、物語の後半、すずはその場所を選び、けい子は受け入れる。
それはすずが生きてきた、その手で作り上げてきた場所なのだ。
たとえその手がなくなったとしても、その手で作ってきたものは無くなりはしない。
たとえ死んでしまったとしても、生きてきたことは無くなりはしない。


この作品は、「この世界に居場所はある」ということと同時に、「人には代わりがいる」というある種、残酷なことも描いている。

りんさんの「代わり」だったすず。
晴美の「代わり」、生まれてくるかもしれなかった誰かの「代わり」の女の子。

居場所があるということは、代わりはいるということ。
就職でも恋愛でもそうだ。
誰かがいなくなった場所に、その代わりとして居る。
漫画も音楽もそう。
どんなに綺麗事を並べても、代わりはいる。

誰かの代わりはいっぱいいるのに、その代わりになることすら難しい世の中。
望んでいない場所、望まれていない存在。
お前なんか居ても居なくても。

嫌になっちゃうよな。気が滅入るよな。
誰といても、誰と話しても。
この人には、自分より大切な人がいて、自分はその代わりなんだって思ったりして。
すずがそう思ったように。
そんなことを考えるもんさ。人間だからな。

自分の居場所があるということは、自分の代わりはいるということ。
これは相反するようで、矛盾するようで、実は表裏の関係なのかもしれない。


きっと始まりは、誰かの代わりなんだよ。
それをあなたのものにするのは、あなたなんだ。
誰かの代わりじゃなくて、あなただよって、あなたじゃなきゃダメなんだよって、そんなふうにしていくのは僕たちなんだ。
自分の居場所を、自分の価値のある場所を、この世界の片隅に見つけるのが。


それが生きるってことなんだよ





新しい年の始まりに、そんなことを思います。
年が明けても相変わらず僕の人生は明けないし、そんなにハッピーではないけれども、今年もよろしくネ。