読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

配偶者選択における「努力義務」について

こんばんは。すなみんです。

先日下の記事を読みました。

 

ninicosachico.hatenablog.com

 

モラハラ夫について、とのことです。

そもそも読売の紙面をブログに載せるのは著作権的にアウトじゃないかとか、読売の投書の件数と筆者の周囲だけでモラハラ夫の家庭って、奥さんが専業主婦が多い

というのは乱暴じゃないか(読売の投書って時点でサンプルにバイアスかかってるし)とか、考えなきゃいけない部分はあるのですが、

それはどうでもいいことで、離婚とかこのテの話でいつも思うのは、配偶者選択・結婚における努力義務の議論が全くなされないということなんですよね。

配偶者選択における努力義務ってのは何ぞや?ということなんですが、これは私の考えです。

 

配偶者選択において、交際期間中に相手の人間性を見極める努力義務・注意義務がある。選択した配偶者がダメ女・ダメ男であった場合でも、相当の注意を怠った場合には、選択した側にも過失・責任はあるんじゃないか。

 

ということなんです。

まぁかなり極端にいうと、「そんなクズ選んだお前も悪いじゃん」ということです。

自分は自己責任論を忌み嫌う人間ですが、こと結婚・離婚の問題については、どうしても違和感を感じます。それは後に詳しく書きます。

 

本稿では、この論点のみを取り上げ、男がどうだ女がどうだといった論点、育児・家事労働の価値等の論点は排除して考えます。

男が悪い女が悪いという二項対立の議論は、いたずらに対立を煽るし、しょうもないことなので。

例えば先のブログでは、よく読むと「男性側の言い分もわかる」という趣旨の記載はあるのですが、基本的に女性側の主張を認めろという形で書かれているので、客観的に面白くない男性もいるだろうなぁと思います。

ですので、ここではそういった論点は排除し、男女の別なく、単に「配偶者」を考えます。ダメ女もダメ男も、モラハラ男もモラハラ女も、とりあえず「人間のクズ」として考えます。

 

1.要件

交際期間中に相手の人間性を見極める努力義務があり、それを怠った場合、「人間のクズ」を選んでしまった側にも過失・責任がある。

こう考えるためには、以下の要件が必要であると思います。

 

1.自由な意思に基づいて配偶者選択をすることができる

2.十分な交際期間を確保し、吟味する時間がある

 

なぜこれらの要件が必要かといえば、極端に言ってしまえば、強制的に結婚させられ、その配偶者がクズだった場合、過失・責任があるとはいえないからです。

クズを選択した側にも帰責性があるというためには、あくまでも、自由に配偶者を選択でき、かつ相手の人間性を十分に吟味する時間があることが必要だと思います。

さて、現在では、恋愛結婚が主流のようですので、このふたつの要件は満たしていると思います。

「あらぁ、おばさんの時代はそうじゃなかったのよぉ、坊や」というのには「そうでしたか」という他ないです。すみません。

 

2.自己責任か

上記ふたつの要件を満たしているからこそ、違和感が生まれると思うのです。

つまり、「え、結婚相手って自由に選べるよね?時間も十分あったよね?それでお前はそれ選んだんだよね?自業自得じゃん?インガオホー、インガオホー。慈悲はない。サツバツ!

と思いやすいんじゃないかと思います。

 

1.少年が犯罪を犯した。その少年の家庭環境が劣悪だった。

2.奨学金が返せない。家は貧乏だし、非正規の職しか就けなかった。お金がない。

3.アル中になった。連日の残業、ハラスメントはかなりのものだった。

4.結婚したら相手がクズだった。結婚するまでは気がつかなかった。

 

どうです?4だけなんか違和感を感じませんか。

1~3は、完全に「お前が悪い!!!」と言い切るのはちょっと…って感がするんですよね。

自分ではどうにもできない部分が大きいから。

(「少年だろうが家庭環境がどうだろうが犯罪を犯した人間は許されない!!」「借りた金は返せよ!貧乏だろうがなんだろうが!!」って方もいるかとは思いますが。)

しかし、配偶者選択については、自分でどうにかできただろう自分で選んだんだろうという感じが強いんですよね、私は。上記の要件を満たしている限り。

 

雇用のミスマッチでは、求職者は仕事内容や職場の雰囲気は入ってみないとわからないので、ミスマッチが起こりやすいため、これだけ問題になっていると思うんですよ。

結婚については、相手のこと知る時間あったよね、その機会たくさんあったよね、と思います。

 

3.反論~過失・責任について~

選択した側には責任はない。という立場から主張してみます。

 

1.交際期間中に相手を見極める努力・注意義務はあるが、どんなに注意してもわからないことはある。よって、選択した側には責任はない。

 

結局ここだと思うんですよね。いや、注意しろったってわかんねえよそんなもん、っていう。

現在活躍中の某ガンダムパイロットの言葉を借りれば、

 

やりました!!!やったんですよ!!!必死に!!!その結果がこれなんですよ!!!!!!!

 

というところでしょうか。

確かに、どんなに注意していても、エラーは起こります。製品を作るにも自動車の運転でもなんでも。

過失・責任があるといえるのは、相当の注意を払えば、その結果が予見できた場合、ということでしょうね。

結婚してからたまたまやったギャンブルにハマり、おかしくなったというパターンは予見するのはかなり困難だと思います。

こういう場合はもちろん選んだ側に責任があるとは言えないと思います。

結婚相手がモラハラ人間だったって場合はどうなんですかね。難しいです。

注意・努力って具体的にどうすればいいのかわかりませんしね。人間と人間のことなので。

それでも、私個人は、選んだ側にも責任があるという立場を取ります。

 

4.なぜこの論点が議論されないのか

これが一番不思議なところです。

すごい違和感を覚えるんですよね。

この論点が取り上げられない理由を考えてみます。

 

1.「恋は盲目」「若さゆえの過ち」という言葉があるように、結婚して時間が経つまでは相手の欠点がわからない。それは当然であるから。

2.結婚して問題が起こった今、今更そんなの議論したって仕方がないから。

 

こんなところでしょうか。

1については、本当にそうでしょうか。

恋は盲目、若さゆえの過ちで済ませていいのでしょうか。

オークションでもの買うってレベルじゃないのですから、もう少し慎重になるべきではないのでしょうか。

まぁ、ここら辺はもう個人の価値観になってきてしまうので、どうにもできないんだろうかと思います。

しかし、この論点が取り上げられないということは、恋は盲目、若さゆえの過ち派が多いってことなのかなと思います。

 

2について、これはまぁ当事者にとってはそうでしょうね。そもそも論を言ってもしかたがないという。今さら責任の所在に言及しても…。そうでしょう。

だけども、この論点について言及することは、これから配偶者選択をする人にとっては無益ではないはずです。

結婚は慎重にしましょうということを導けると思います。

 

で、これはまぁ、私の諦めというか、諦念ですけど、

結局みんな自分が悪いと思いたくないんだろうな

それがすべてなんだろうな

そう思ってしまいました。

人間はそういう生き物だと。

 

しかし、それを認めた上で考えてみませんか?

人間は愚かな生き物ですが、それを認めたうえで、よりよい社会をつくるために、考えてみたいと思います。

現在活躍中のネオジオンの軍人も、過ちを認めて糧にするのが、大人というものだ。という趣旨のことを言っています。

 

だからどうするってわけじゃなんですけどね。

 

これから結婚する皆さんは、ダメ女・ダメ男に当たらないよう、交際期間中に相手の人間性をしっかりと吟味し、少しでもダメ男・ダメ女と結婚する確率を下げましょう。

 

ということしか言えないかな。

 

それでは。