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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

自分の頭で物事を考えるということについて

以前から、ネットのニュースのコメントなどをみていると、どうしようもなく落胆することが多い。

「もう少し自分の頭で考えから物言えばいいのになぁ」と。

 

物事を考えるにあたって

1.「なぜそうなっているのだろう?」と疑問を持つ

2.「それはこのような理由だ」という仮説を立てる

3.「この考えは本当に正しいか」立てた仮設を検証する

 

これが自分の頭で物事を考えるということで、大学なんかでは学習すると思うのだ。

 

なので大卒以上の人なんかは当然に会得していてほしい、と思ったりするのだけれど

思うに、こういうことをできる人のほうが少ない。みんなできないのだ。

 

たいていの人は、自分の価値観や感情に照らして、「これはこうだ」としておしまい。

 

最近はもうそれを許容することにしている。まぁ、いいかと。

(許容というよりは、諦めに近いけど)

まぁ、そんなもんだよなと。

 

大学もただの就職予備校と化し、そもそも遊ぶ時間がほしいから大学に行く、という人も多い。

大学でもこういうことを教えることを怠り、学生もこういう学問的態度については疎かにする。

そういう構造があるから。

 

私は髙いお金を払って日経新聞を読んでいる。

「お金払って新聞なんてばかばかしい。ネットのニュースで十分」

という人もいる。

が、ネットのニュースだと、かならず雑音が入る。どうしようもないことを平然と書く人間がいる。

新聞だと、そういうノイズが入りにくいので、私は高いお金を払ってでも新聞を読むことを選択している。

実際には、日経新聞でも社説でもないのに主観的意見がありありと混じっている記事もあり、日本で比較的まともなメディアである日経新聞でもこの程度か、とがっかりすることもある。

それでもインターネットよりは各段にマシだが。

 

私は幸運だったと思う。一定水準のレベルの大学に行って教育を受け、勉強し、読書もすることができる。

それができない人のほうが、多いのだ。

 

最近ようやく日本でも「アクティブラーニング」なんて言葉が流行り始めたようだが、そもそも日本は、幼少期から「自分の頭で考える」という教育がされないらしい。何かの記事で読んだ。

 

例えば、日本の場合、子どもが「おやつがほしい」と言えば、母親が「あら、じゃあ今日は暑いからアイスクリームにしましょう。○○ちゃんはチョコレートが好きだから、チョコ味にしましょうね」

こんな具合に、全て答えを用意してしまうのだ。

 

欧米の場合、

子「おやつがほしい」

母「何がほしいの?」

子「う~ん、今日は暑いからアイスクリームがいい」

母「何味がいいの?」

子「う~ん、今日はバニラ味」

 

こんなやりとりがされるという。子どもに考えさせ、子どもに意思決定させている。

 

これじゃあ、てんで日本はダメなわけだぜ。

と思ったりもする。

 

 

私は今の仕事を初めて間もないので、業務上わからないことがたくさんある。

そういう事態に直面したとき、できるだけ自分でどうしたらよいか考えるようにしている。

 

「これってどうしたらいいんですか?」

ではなくて

「これはこうするべきだと考えたのですが、これでいいですか?」

 

「これってどういうことですか?」

ではなくて

「これはこういうことだと思うんですけど、合ってますか?」

 

といった具合。

 

もっとも、時間がないときや、自分で考えても絶対にわからないこと、初めから誰かに聞いた方が各段にはやいときなどは、質問するけれども。

 

極力、自分の頭で考えるということを怠らないようにしたい。

面倒でも、時間がかかっても、そうしたほうが自分自身成長するし、それが組織のためでもあると思うから。

 

それ以外、他人や日本のことについては、まぁ、いいかで済ませるようにしている。

私は教育機関でもないし、自分に実害がなければまぁどうでもいいし、日本も私ひとりが憂いてどうにかなるようなものでもないだろう。

 

そういうことを極力避け、自らの向上に時間を使ったほうが、有意義だ。

 

時間は有限である。

時間が有限である限り、勉強しない自由というのもある、と私は思っている。

だがそれは、勉強する自由を侵害するものであってはならないし、他人の時間を奪っていいということにもならない。

その逆もまた然り。

 

そういうことを念頭に置きながら、自らの成長、人生の進め方を考えたい。



それから、このブログのゲストコメントを制限した。


最近は記事を書くと、嫌がらせ、一般社会のコミュニケーションルールを守れていないもの、コメントに返答することが義務・当然であるかのような要求をするもの、などが散見されるようになった。


それだけアクセスが増えたことと、私が良い記事を書いている証拠でもあるのだけど

いちいち削除するのも面倒であり、

その度に「これまでちゃんとした教育を受けてこなかったんだろうなぁ」という憐れみ

「生きてて恥ずかしくないのだろうか」という義憤を感じるのも不快である。そして疲れる。


一部の迷惑な人間の迷惑な行為によって、善良な人間の権利や利便性が制限されてしまうのは、社会の理不尽に負けたようで非常に不本意なのだけど、致し方ない。

実際ちゃんとした形式と内容でコメントしてくれる人もいて、大変申し訳ない気持ちでいっぱいである。


善良な読者の皆さん、ごめんなさいね。