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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

うたうとは小さないのちひろいあげ~言葉とは、表現とは、生きるとは~

小説 日記

大変面白い小説を読みました。

 

 

うたうとは小さないのちひろいあげ

うたうとは小さないのちひろいあげ

 

 うたうとは小さないのちひろいあげ/村上しいこ


短歌を題材にしたYA小説です。

いじめ、不登校、学校、親の問題、友情など、王道を行きながらオリジナリティがある。

キャラクターもしっかりしていて読みやすい。

途中ぼろぼろ涙を流しながら読みました。

小説や漫画、音楽、映画、アニメ。すべての「言葉」を使った創作活動、表現者たちに読んでほしい一冊。

内容とは関係ないけど、表紙の女の子は、ベルハーの女子だ。ベルハーもけっこう有名になってきた感ある。

 

あらすじ

桃子は高校1年生。中学時代に親友だった綾美も同じ高校に入学したが、まもなく不登校になった。それは中学時代に体験した壮絶ないじめが尾を引いているからだったらしい。
一方、人数不足の「うた部」(短歌)に思いがけなく入部することになった桃子は綾美に対して、中学時代に起きたある事件の負い目から、高校で友達は作らないという宣言までしてしまう。
本当にこのままで良いのか悩み続ける桃子に、ある同級生が声をかけてくる。
そしてある日の放課後、うた部で短歌甲子園に出場しようという話が持ち上がって…

 

主人公の桃子は「うた部」という短歌同好会に入ります。

それゆえ、「言葉」「表現」について書かれているところもあり、勉強にもなります。

 

桃子の友達で、中学時代いじめに遭い、不登校でひきこもりの綾美も歌を詠む場面がある。

そのときの綾美、

 

私は問題児ではない、問題があるのは社会のほうだ。

誰かに話を聞いてほしいけど、まともに聞いてくれるヤツなんて、どうせいないに決まってる。

私のこと、本当にわかってくれる人っているんだろうか。勝手に解釈されて、批判されるくらいなら…。

 

という気持ちで詠んだ歌。

 

この世にはわたしの居場所などなくて見る人がみな敵に見える日

 

この歌、僕にはすごくよくわかるし、閉塞感があって好きなんだけど。

 

こうした綾美が詠んだ歌に対して、うた部部長の大野いとが反応します。

 

恨み辛みをそのまま歌にしても、相手を不快にさせるだけ。

あなたの歌は、ただ独り言を壁にぶつけているだけで、届ける言葉になっていない。

誰もそんな、恨みをぶつけられるだけの壁になど、なりたくないでしょ。

 

そうだよなぁ。

僕もブログやTwitterで社会や人間への恨みや怒りを爆発させて書くことがあります。

僕は誰かにわかってほしいと思って書いている。

だけど。

恨み、辛み、妬み、嫉み。そういうものをただ吐き出しただけでは、独りよがりだ。

ぶつけられる人のことを考えていない。それじゃあ、本当にわかってはもらえないんだ。

共感とか共鳴というのが、鍵ですよね。表現というものの。

「届ける言葉」にしなくちゃいけない。独りよがりじゃない、自分の言葉に。

それが創作であり、芸術であり、表現なんだろう。

 

物語が進んで、いと部長が綾美にかける言葉があります。

 

短歌っていうのはさ、誰かがこの気持ちを必ず理解してくれるって、そう信じる心から生まれるものだから。もしよかったら、わかり合える人を一緒に探そ

 

 

僕は、恨み、辛み、妬み、嫉みなどの負の感情は、人間が誰しも持っている当たり前の感情で、生きていくのに必要なものだと思う。

こういう感情は、強い力を持っていて、前に進むための大切なエネルギーになる。

憧れとか向上心とか、負けたくないって気持ち、そういうものと根本は同じなんだと思う。

 

世の中、こういう感情は汚くて卑しくて持ってちゃいけませんってなってるような気がする。

僕はそうは思わない。こういう感情は、僕らが人間である証でもあると思う。

というか、世間でそう言われるってことは、みんなこういう感情を持っているってことだろう。

僕はこうした負の感情を、大事にして生きていきたいと思います。

それも僕なのだから。

 

作中、綾美はブログを書いているのですが、それを再びわかりあえた友達、主人公の桃子に見てほしいと言います。

私のいやなところとか、汚いところとか、醜いところとか全部読んで欲しいと。

 

それを受けた桃子は、違和感を覚える。それは違う、何かが違うと。

綾美に対して桃子が出した答え、それを歌にして詠むのですが、それがまた良いのです。

技巧的にはたいしたことない歌なのかもしれないけど、作中で詠まれる歌のなかで一番好きです。

桃子が綾美に出した答え、どういう歌を詠んだのかは、ここで書くのはやめておきます。

 

 

きれいで美しい物語。感服してしまう。

こういう物語を書く人がいるのなら、僕に、僕だけに伝えられる言葉なんてあるのだろうかと思ってしまう。

 

それでも書くのはやめないだろうけど。

ブログももう7年くらいやっているけど、なぜ書くのかと問われれば、誰かにわかってほしいから、誰かとつながっていたいから、っていう理由が大きいかもしれない。

 

これからはもっと、練習しなくちゃいけないな。

自分の想いを、伝えたいことを、「届ける言葉」にする練習。

自分の言葉で。

 

恨み、辛み。妬み、嫉み。

そういうものだって、きちんとした形にして、届ける言葉にすれば、誰かの傷を癒したり、救うことだってできると思うから。

 

人を悲しませるのが言葉なら、人を傷つけるのが人間なら、

人を支えるのもまた言葉であり、人を救うのもまた人間。

 

暗くても、かっこわるくても。

笑われても、バカにされても。

完全に負けたって。

僕はやりたいと思う。

 

綾美は、桃子という、闇から救いだしてくれるような、一緒に生きていける人を見つけることができたけど、現実は、そういう人が見つからない場合もある。

物語には終わりがあるけど、人生は長く続く。

子どもの頃の傷は、それがどんな形や程度であれ、ずっと心に残り続けるのだと思う。

僕もそのひとりだ。

生きていくのは、つらい。

 それでもまだ。

こんな世の中でも、いや、こんな世の中だからこそ。

こんな自分でも、そう、こんな自分だからこそ。

わかってくれる人がどこかにいる。

そう信じて。

そう信じてるから、まだ生きている。

生きていける。


作中、綾美のブログは役目を終えて閉鎖になるシーン。

もしこのブログを読んでくれた人がいたら、ありがとうです。

あなたも私を支えてくれた一人だから。


これはね、本当にそう思うよ。

嘘じゃない。

このブログにも、信じられないことに、昔から読んでくれている人がいます。 

信じられないことに。

そういう人がいてくれるとね、自分もまだ捨てたもんじゃないなって思えるんだ。

自分にはまだ何かの力があると、そう信じることができる。

作中に出てくる彩や桃子は、インターネットでのつながり、言葉は生の言葉じゃない、というようなことを言っていたけど、それでも。

これを書いている僕は確かにいるほんとうの僕で

これを読んでくれている君もどこかにいるほんとうの君だ

そこに必ず心はある。

だから。ありがとうだぜ。

本当に。


言葉というのは、不思議なものだな。

心ない人の言葉に傷ついて落ち込むこともあるけれど

優しい言葉に胸があたたかくなることもある。


僕は、言葉というものに、音楽や漫画や小説に支えられて生きてきた。

今もこの身体を、この心を支えてもらっている。

いつか僕も、言葉というもので誰かを支えたりあたたかくしたいと思う。

僕は、ちっぽけな人間だけど

自分はちっぽけな人間だと知っているからこそ

僕にもできることがある。

僕だからできることがある。



最後に、桃子と綾美のことを考えて歌を詠んでみた。

短歌というのは、自由で、だけども形式が決まっていて詩や小説より書きやすいなぁと思ったのだけど、それだけに奥が深いなぁ。

 

 きみがいるわたしのとなりいつの日も何でもできる黒を白にも

 

みんなも幸せにね。