生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

私はいったいどれだけ足りないのか?~格差と比較、不平等の中で生きる



ちょっとおバカな中学生、ちーちゃんとその友達、ナツ、旭、クラスメイトの日常のお話。
確か去年だったかの「このマンガがすごい!」の1位だったかな。
阿倍共実の「ちーちゃんはちょっと足りない」を読んで。 


読む人の心を抉ることに定評のある阿部共実だけあって、強烈ですね。

テーマというか、描かれているものは、

学校、スクールカースト、生きづらさ、ひとり親家庭、劣等感、貧困・格差・不平等、閉塞感…

そういうものです。

人の心の暖かさ、絶望の中にあるほんのちょっとの希望みたいなのも描かれています。

それだけならまぁ、よくあるものなんですが
漫画として、というか表現として、この作品はすごいと思う。
衝撃を受けるいうか、「ぐおおおおおおおお」ってなるね。
心抉ってくる演出というか、そういうのはすごいと思いました。

物語はまず、1コマ目、くすんだ団地の風景から始まる。
あぁ、主人公のナツとちーちゃんは団地に住んでいるんだ~、と思うところですが、団地のような公営住宅は、基本的に貧しい人が住むところです。所得制限があるし。生活保護受給世帯も多く住んでいます。
ここが物語のはじまり。

地方の町の団地に住む主人公のナツ。
お父さんがいません。お母さんも働き詰めで、あまり家にいません。
恋愛経験なし。おこづかいが少ないのがちょっと不満。
真面目で大人しくて優しくて人見知りで良い子。
「良い人」だと人からよく言われます。
でも本当は…

同じ団地に住むナツの幼なじみのちーちゃん。
中学生にしてはちょっとおバカ。
お姉ちゃんがいる。お母さんもいる。お父さんはいません。
恋愛経験なし。おこづかいが少ない。

お姉ちゃんはちーちゃん想いで、家庭を支えるため、バイトをしている。
恋愛もできず、欲しいものは買えない。

ナツとちーちゃんの友達、旭ちゃん。
ふたりとは違い、家がお金持ち。
先輩と付き合っている。

クラスメイトの藤岡さん。
バスケ部。クラスの調子のいい女子たちのリーダー格。
部活もサボりがち、ちょっとグレ気味。
でも実際は…?

3話まではほのぼのとした日常が描かれています。
4話からだんだん雲行きが怪しくなっていきます。

そんな中、ある事件が起こります。

その事件を通して、この世界の、人間の、色々が描かれてゆく。

人を信じること、誰かのために何かをすること、誰かのために怒るということ、誰かを大切に想うということ、苦手な人とも話せばわかるかもしれないということ、人や世界との溝は自分自身が作り出しているのかもしれないということ……

欲しいものが買えない。
みんなは買ってもらえるのに。
勉強ができない。みんなはできるのに。
恋人がいない。あの子にはいるのに。
友達がいない。みんなはたくさんいるのに。
みんなが持ってるものを自分は持ってない。

どうして自分だけ?なんで。なんで。なんで自分だけ?自分だけ自分だけ自分だけ自分だけ自分だけ自分だけ自分だけ自分だけ自分だけなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで


なんで自分だけこんなに足りないの?



物語は、救いがあるような形で終わる。
だけれども、続きのページがあったとしたら、そこには絶望しかないように思える。

タイトルにも工夫がされており、ちーちゃん「は」「ちょっと」足りない。

そう。ちーちゃん「は」「ちょっと」足りないんです。

じゃあナツは……?

と考えると寒気がした。
このマンガの何がすごいって、このタイトルが一番すごい。
というか怖い。もうある意味ホラーです。
その意味するところは、この漫画を読んでみてください。
読み終わって、このタイトルの意味に気がついたとき、きっとゾッ…とすることでしょう。


ここから先は、私の物語も。

この漫画、ちーちゃんとナツは、地方の町のひとり親家庭の子ども。
地方のひとり親家庭なんてのは、厳しい。
物語の中で、ナツは「底辺」って言ってるけど、正直、今の日本じゃ、その言葉は否定できないでしょう。

私はひとり親家庭で育ったわけではないけど、家は貧しかった。
たぶん、私の家は底辺とまでは行かなくても、なかなか厳しいところだったんだと思う。

母親と父親は彼らの全てを犠牲にして私を大学まで行かせてくれたが、私も大変だった。
父親は出稼ぎで日本中回ってたから家にいなかったし、母親と会えば、ケンカ。

「お金がない」「お金がない」「お金がない」

私は子どもだったが「僕はどうして生まれてきたんだろう」って思いながらおばあちゃんの家に逃げたりしてた。

母親にも父親にも、ひどいことを言われた。

他の子どもが父親と釣りに行った話や、家族旅行に行った話をしてる中、僕はおばあちゃんの家でコロコロコミックを読んでた。ひとりで。何周も何周も。母親も働いててあんまり家にいなかったから。
もしかしたら、機能不全家族ってやつかもしれない。
それで僕のような人間ができあがってしまうわけだ。

田舎の町は、息苦しかった。
学校も嫌だった。からかわれたりもしてたし。高校のときなんかは本当に嫌だった。
田舎の高校には、ろくなのがいなかった。お酒を飲んで授業を受けたり、運転免許など持ってるわけもなく車を運転するような人間たちがいた。

高校時代、僕の趣味は勉強だった。そのような絶望的な環境下で、勉強を趣味としていた。
面白かった。勉強すれば、努力すれば偏差値は上がっていった。
これは面白いゲームだ。
アニメや漫画の主人公になった気分だった。
受験というゲームでは、僕が主人公だ。
勉強をすれば、母が喜んでくれた。
模試で良い点を取ると、おばあちゃんがおこづかいをくれた。

国立大に現役で受からなかったら、お父さんみたいに働いてもらうから

母のその言葉が、いつもいつもいつも僕を勉強に駆り立てた。
 
田舎には、予備校などない。
学校も、あまり勉強する雰囲気ではない。
僕は図書館に通った。
楽しかった。浪人生、司法試験受験生。
誰だか知らないけど、そういう人たちがひとりで勉強していた。
そこで勉強すれば、ひとりじゃないと思えた。
インターネットは家になかったから、情報はケータイで調べた。2chの受験板や受サロは、参考書の情報など有益だった。

参考書や問題集は僕を傷つけなかった。
学校の連中や母の言葉は僕を傷つけるけど、参考書の説明文や、問題集の問題文は僕を「ひとりの人」として、みんなと同じように平等に語りかけてくれた。
本の中で、代ゼミの先生や東進の先生が僕を励ましてくれた。

僕は大学に現役合格できた。そこそこ有名な大学だ。
母とおばあちゃんは泣いて喜んでくれた。

努力は報われた。そのときだけは。

大学で知り合った人は、恵まれている人が多かった。
家にお金があって、文化資本(※)もあって、予備校もあるような都市で、進学校に通っていて、切磋琢磨できるクラスメイトがいて。

なんで自分だけこんななの?と思った。

文化資本:ざっくりいうと、家に本があるとか、クラシック音楽のCDがあるとか、高級レストランとか海外旅行に行く習慣があるとかそういうこと。社会階層の上のほうは、本を読む習慣を持つ人が多く、下のほうは、パチンコに行く習慣を持つ人が多いとか、そういう話。


大学のとき、貧困や格差、不平等や社会的排除について本を読んだ。

僕自身も貧しい家庭だったし、育った町、地方の田舎はこういう家庭が多いから、けっこうな比率でみんな貧乏だった。
ひとり親家庭の人もいた。

家がボロッボロのアパートで、遊びにいくと平日の昼間にも関わらず、お酒を飲んで寝てるようなおじさんがいるような家(しかも血のつながってない兄弟あり)や、家の木材店がつぶれて高校を中退した人もいた。

格差の再生産、貧困の再生産って概念がある。
貧乏な家に生まれた子どもは貧乏から抜け出せない。これが続く。

風の噂、上に挙げた人たちは、正直あんまり幸せなことになっていなかった。
貧乏だから育てられるわけないのに18歳で子どもを……とか。

mixiとかFacebookの同級生、Twitter実名でやってるような人たちを見ると、結婚したりして幸せそうな人もいる。
しかし妙に寂しくなった。
あぁ、やっぱり、抜け出せないんだって。
あの町で生きていくしかないんだって。その子どももそうなんだって。
抜け出せたとしても、せいぜい県庁所在地。東京の大企業なんて入れない。

なんだか怖くなった。

彼らが田舎の大学生やってたとき
mixiを見ては、楽しそうでうわああああと思ったもんだけど、就職した彼らを見ると、なんだか切なくなってしまった。
抜け出せないんだ。あの町から。
インターネットではマイルドヤンキーとかいうラベリングをされたりする。

生まれた場所や、育った場所で、ディスアドバンテージを背負ってしまうこと。
残念ながら、今の日本では、それがまかり通っている。

諦めたくないな。
この連鎖を断ち切りたい。僕で止めたい。
だからまだ、東京のすみっこで、たったひとりゲロ吐きながらもなんとか踏ん張っている。

よかった。って思うこともある。
僕は僕でよかった。今の僕でよかったと。
家でも学校でも職場でもうまくいかなくて、こんな人間になってしまったけど
もし僕があの田舎で、満足な学校生活送って、ろくに勉強せず田舎の大学出て田舎に戻ってたら…
どうなっただろう、なんて。

そういうifを考えると、過去はあれだけど、まだかすかな未来がある。
そんな気もする。
 
過去に囚われてしまうことはある。
僕は幸せになんかなれやしないんだって。
そう思ってしまうこともある。
でもまだわからないじゃないか。まだ未来があるじゃないか。
 
チャンスはある。今の職場がダメならまた転職すれば良い。
相変わらずお金はないけど、まだ生きてる。

格差・貧困の再生産、絶望の再生産、その輪廻から救い出す道を。
僕はやっぱり辛かったし、今も辛いから、僕の子どもには、お金のことでは不自由させたくない。教育も、愛情も最大限注いであげたい。
そうやって未来に繋げることができれば、僕が生まれた意味もあるってもんだ。
母や父がしてくれたことも。
 
今でも、悩んでる。母や父のことは。
彼らが他の貧困家庭の親と違ったのは、僕を大学に行かせてくれたってことだった。
僕は見ていたからわかるが、彼らは彼らの人生のほぼすべてを犠牲にしたような気がする。僕のために。

だから感謝はしている。
だけどそれだけではない。

だって、ひどいことたくさん言われた。たくさんされた。

お金と愛情、2つの変数は比例関係にある、なんて言えないけど、それでもお金がないとその分、心の余裕もなくなって、なんていうか残念なことになってしまう。
本当に残念なことに。
理屈じゃない。経験なんだ。実際にそういう中で生きてきた僕の体験。

僕ひとりが不幸だってわけでもないし、みんなそれぞれ、抱えてるものがあるだろう。
もっと貧しい家庭、厳しい状況にある人はいるだろうし。どうやっても大学には行けない人いるだろう。
裕福な家庭で育った人だって、それぞれ背負ってるものはあるだろうし。

ただどこかに吐き出したかった。誰かに読んでほしかった。


あなたは、足りていますか?
僕は全然足りないです。
お金も、友達も、愛も、承認も、励ましも、優しさも、喜びも、声援も、幸せも、全然足りない。

全然足りない。僕の人生全然足りない。
だけどそれはきっと、僕を動かす大切なエネルギー。
まだGAMEOVERじゃない。
続きがあるよ僕のストーリーは。

生まれたからには生きてやる。
最後には笑ってやりましょう。


最後の最後には足りてやる






あ、それから。
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なんてね。
ここまで長いのを読んでくれてありがとうございました。

それでは。