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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

何者かになるということ、何者にもなれないということ、何者にもならないということ

日記
こんばんは。すなみんです。

先日の記事で、当ブログの目標はあっさり達成してしまいました。


ブックマーク数が10あったのです。
「欲しけりゃくれてやる」感覚でくれた人もいるとは思うんですが、いつもの感覚でブックマークした人がひとりくらいはいるでしょう。
なので、はてなブックマークについてはわりともうどうでもいいです。

はてなアンテナに追加されたかは確認してませんが、はてなブログにはブログ購読・読者というシステムがあるため、まぁそんなにこだわらなくてもいいのかな。
いや、ダメだ。やっぱり誰かのはてなアンテナに入れられないと目標をクリアしたことにはならない!

それから、はてなスターをたくさんもらいました。感激です。
ありがとうございます。
ただ、覚えていよう。
私が最初に書いたエントリでスターつけてくれた人がいる。
あれが私にとって憧れのはてなスターでした。うれしかったよ。
ありがとう。そしてありがとう。
あれから、私が書く記事書く記事にはてなスターをつけてくれますね。前のブログから見ていてくれる人かもしれない。
ずっと覚えてるよ。ありがとう。
そう、君のことだよ。


さて、今日のお話。

きっと何者にもなれないお前たちに告げる!

というフレーズが印象的なアニメが何年か前にありました。
あれがもう何年か前のアニメになってしまっているとは時の流れはおそろしいです。


今日は「何者かになる」ということについて考えてみたいと思います。

もうかれこれ、幼稚園児が中学生になるくらいブログやTwitterをやっている。
その間、色々な人が生きていくのを見てきた。
リアルも含め、なんだか、有名になった人や何者かになった人がそれなりにいることに気がついた。

漫画家になった人がいる。
ラノベ作家になった人がいる。
バンドでメジャーデビューした大学の同級生がいる。
研究室の准教授が本を出した。
ポスドクの先輩が小さな大学の講師になった。

2009年、当時お互いフォロワー20人くらいで、「この社会って糞だよな」と言い合ってた人が、Twitterで有名になった。彼のフォロー数は200程度だが、フォロワー数は1500くらいだ。
昔はコミックビームの感想なんかをはてダに書いていたが、今彼のブログはコミティアや文フリなんかの告知をするところになっている。
今はとても幸せそうだ。
彼女に料理を作ってもらったってさ。

心の病気になった人もいた。
今は回復した。
私より幸せそうだ。

仕事を辞めた人もいた。
いまだに仕事は見つからない。
でも私より幸せそうだ。

何者かになれなかった人もいた。
でもまぁ私より幸せそうだ。

何者かになれなかったのに?
何だか妙に幸せそうだ。
私よりは幸せそうだ。


いなくなっちゃった人もいた。
ねえ、あなたは私より幸せ?


ひとりだけ置いていかれた気がする。
同期や後輩のバンドがどんどん売れていくのをただただ見ているような感じって、きっとこんなんなんだろう。

自分とたいして変わらない場所にいた大学の同級生が、今じゃピロウズゆかりん水樹奈々が立ったステージでライブやってるってのは、複雑な心境。


何者かになるってのは、どんな気分なんだろうか。
何者かになるってことは、それ相応に背負ったり捨てたりするものがあるんだろうなぁと思う。

ミュージシャンなんかは、あんまり幸せそうじゃないような気がする。
何者かになったミュージシャンより、何者かになれなかったファンのほうが幸せそうに思える。

フジファブリック志村正彦が、ライブのMCでこんなことを言っていた。
プロミュージシャンを目指すことっていうことは、のほほーんと楽しくやってるだけではなくて、 喜びを感じる時というのは、何かを成し遂げた一瞬であって。
普通の大人になりたくなかったから始めた音楽があって、でもそれを不安視する自分がいて、かたや、なりたくなかった大人になっていく人たちがすごい幸せそうで、逆に羨ましくて不安になって。 

わかるなぁ。
自分はなりたかった大人になれなかったし、なりたくなかった大人にもなれなかった人間だけど。

世に言うリア充の人たちは、サカナクション好きだけれど、サカナクション自体はそんなにリア充感ない。

フロントマンの山口一郎は、突発性難聴になり、方耳がほとんど聴こえないという。
突発性難聴は、発症して早期に治療すれば良くなる可能性が高いらしいのだけれど、山口一郎の場合、ライブの何日か前に発症して、中止・延期の選択をせず、ライブやったら聴こえなくなってしまったらしい。

耳が聴こえなければ幸せじゃないのか、という話ではなくて、何者かになってしまったら、それ相応の何かを引き受けなければないないんだ、ということ。


ゆかりんなんかは、どうなんだろう。
ステージの上から何を見てるんだろう。
ゆかりんよりも、ワイワイやってる王国民のほうが幸せそうだもの。


そう考えると、何者にもならないほうが幸せなのかもしれない。
結果として何者にもなれなかったのではなくて、自らの意志で何者にもならない選択をしたほうが幸せなのかもしれない。


それでも。
私は何者かになりたいと思う。

きっと、何者にもならない選択をしても、みんなと同じように幸せにはなれないと思うから。

何者かになった人たちの中にも、そういう人いたんじゃないかと思う。
何者にもなれない人、ならない人の普通の幸せを手に入れることはできそうにないから、何者かになってやる、ってさ。
そう思った人もいたんじゃないだろうか。
もちろん、結果として何者かになっただけで、別になろうとはしてなかったよ、って人もいるだろうけど。

このことに関してはまだ頭がごちゃごちゃしている。

何者かになりたいけど、なる努力はしてないし、どうせなれないし、だけど何者にもなれない幸せは手に入りそうにないし。
仕事もだめだ。人生うまくいかない。どこで間違った?
前に進まない。
自分だけが置いていかれた感覚。



ウーフェイ教えてくれ。

こんなちっぽけな俺にできることはなんだ?

俺は何から始めればいい?



いや、本当はわかっているのかもしれない。

何を、どこで、どんな風にやればいいかってこと。
選択肢が多すぎて、あるいは勇気や気力がなくて、やらないだけなのかもしれない。


この3連休に、何か少しでも、何かをつかみたい。