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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

アジカンと羽海野チカが好きだったあの娘へ

最近は仕事が嫌というか、職場に行くのが嫌で、前の会社のことを考えて切なくなる。

理不尽に怒られたりすることはあったけど、なんだかんだ平和だったのかも。
田舎から逃げるように東京に来てはみたけれど…
嫌なことばっかり。
 
 
さっき、ふと、前の会社で同期だった女の子のことを思い出した。
同期と言っても配属先は違った。彼女は秋田県で僕は別の県だった。
最初の研修で一緒になっただけで、ほとんどしゃべったことはない。
でもね、もっとしゃべりたかったんだ。仲良くなりたかったんだ。
そんなことを思い出した。
 
彼女は、研修で配られる自己紹介のプロフィールに、「アジカンが好きです」と書いていた。
アジカンは僕も好きだった。
高校時代、ろくに友達もいなかった僕は、ひとりアジカンを聴きまくってた時期があった。
 
彼女は、ウェイウェイしてなくて、のほほんとした素朴な感じだった。
すごくタイプだった。
 
そんな理由で、仲良くなりたいな、お話してみたいな、と思っていた。
 
しかしこれがまた、女の子とまともにしゃべったこともない僕は、彼女が属する女子の集団に入って行くことなんかできないわけで。
話しかけることなんかできない。
 
あるとき、研修のグループワークで同じグループになったときがあった。
その休憩時間だったか、僕がブドウ糖をかばんから取り出し、食べようとしたときだった。
 
彼女が、「あ、それ、ブドウ糖」と話しかけてきた。
 
「えっ」と面食らう僕。
 
ブドウ糖、知ってるんですか、なんか、珍しいですね」
 
「『3月のライオン』って漫画に出てきたんです」
 
笑いながらそう話す彼女の顔が、すごくかわいかったのを今でも覚えている。
 
「あぁ、宗谷名人の…?3月のライオン、僕好きですよ!羽海野チカとか、読むんですか?」
 
本当はそんなに好きなわけではなかったが、とっさにそう答えた。
そこから何を話したかは覚えていない。確かハチクロの話とかをしてたような気がする。
休憩時間も終わり、また研修が始まった。
 
彼女と話したのは、このときだけだったと思う。
飲み会でも、近くの席にはならなかったし。
研修が終わって、別々の県に配属になり、会うことはなかった。
しばらくして僕は会社を辞めた。
僕が会社を辞めたことを、多分彼女は知らない。
というか、僕のことを覚えていてくれるのかどうかもわからない。
 
本当はもっと話したかった。仲良くなりたかった。
同じ大学出身だった。
アジカンの曲は何が好きですか?ときいてみたかった。
 
彼女なら全部聞いてくれる気がした。
高校時代、友達のいなかった僕は、夜の海でひとり「脈打つ生命」を聴いていたこと、
夜の海岸線を「君の街まで」や「遥か彼方」を聴きながら自転車で駆け抜けたこと、
就職活動や大学に行き詰まり、田舎で親に疎まれながら「旅立つ君へ」を聴いていたこと、
失恋してカラオケボックスでひたすら「ソラニン」を歌ったこと、
彼女なら全部聞いてくれる気がした。
 
もっと、もっと、話をしてみたかった。
 
勇気がなかったり、色々なことであきらめたりして、結局、しなかったんだよね。
いつもそうだ。
いつもそうなんだよ。
そして後悔する。
 
もうそろそろやめないか、そういうの。
ダメでいいから、やってみないか。
どうせダメだしやらないほうがまし、めんどくさい、そんなこと言わないでやってみないか。
 
ここまで書いてきて、思い出したことがある。
そういえば、僕は彼女のメールアドレスを知っていた。
おそらく、みんなで連絡先の交換をする社交辞令タイムに、僕と彼女も交換していたのだろう。
 
そして、もうひとつ思い出したことがある。
研修が終わってから、僕は彼女にメールをした。
研修おつかれさまでした。短い間だったけど、ありがとうございました。これから頑張りましょう。
くらいの、定型的なあいさつ程度だったけど。
 
あれから2年半。僕の職場も変わり、携帯も変わってしまったが、メモリーには彼女のメールアドレスがまだ残っている。
 
 
さぁ、君ならどうする?
 
昔研修で1週間一緒だっただけの、よく知らない男からいきなり
 
「久しぶり!伊藤さんはアジカンの曲で何が好き?」
 
というメールが来る。
そんな出来事も、淡々とした日常が繰り返されるだけのなんてことない世の中にあっては、ちょっと面白いんじゃないか。
 
そんなことを想う秋の夜長。
僕は右手の親指で勢いよくスマートフォンの電話帳アプリをタップした。