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生きても生きても雨

晴れの日は来なくても 続きはあるんだぜっ

田村ゆかりファンクラブイベント 2016 名古屋【ネタバレ無し】

田村ゆかりファンクラブイベント2016 名古屋f:id:mako1989:20161124120345j:plain

名古屋に行きました。
久しぶりの名古屋、やっぱりいいね。
行きは高速バスでのんびりいった。
たまには何にも考えずただぼうっとバスに乗るのもいいね。
平日は都心で仕事、休日も新宿渋谷吉祥寺だのに出かけていると、けっこう心が疲労しているなーとわかった。

で、ゆかりんのファンクラブイベントですが。
ゆかりんは元気そうでした。
ずいぶんと笑わせてもらったし、楽しかった。
やっぱりゆかりんはかっこいいなと思いました。
俺が憧れたエンターテイナーでした。
見ている人を幸せにさせたり、元気や勇気をあげたり。
そういうアイドルでありエンターテイナーでした。

帰りの新幹線の中で、隣でくたびれた王国民のおじさんが寝ていました。
それを見ながら。
きっと、ゆかりんも、集まった王国民も、辛いこととか嫌なこととか、たくさんあって、背負って生きているんだろう。
まだまだ俺たちのような人間はこの社会ではマイノリティだと思います。
それゆえに、笑われたりバカにされたり、そうまでされなくても嫌なことなんてたくさんあるでしょう。

なんかね、負けたくないって思うんだよね。
そういうのに。

というわけで、来週もピンクのシャツを着て、ピンクのネクタイをして、ピンクのスマートフォンを持って会社に行くわけです。
俺はピンクが好きなんだよ。
ホントはちょっとだ・い・た・んよ❤

さぁ、ゆかりんがあれだけ頑張ってるんだから、俺もまだここで踏ん張る。
自分の好きなものとか、やりたいこととか、あきらめないよ。

相変わらず嫌なことばっかりで、誰にも認められないけど、頑張って生きてるよ

ずいぶんとお久しぶりです。
なんとかかんとか、やってます。
嫌なことや辛いことばっかりで、全然人生楽にも楽しくもならんねぇ。
日々はけっこう忙しく、立ち止まって考える時間があんまりなかったなぁって。
考える間もなく、過ぎていく。

なぜかヒラ職員の中では新入りの俺が一番残業をしています。
俺の能力不足を考えたとしてもなんか明らかに量多いよね。
どこいっても結局こうなるんねぇ。

残業して、ジムでトレーニングして、家に帰るって寝る。
これで11時です。
この生活をひたすら続けている。ブログを書いたり、ゆっくり考え事をする時間もない。
何も進んでいない日々ですが、トレーニングはほぼ毎日やっているので、それだけは効果が出ています。

3月に職場のストレスで88kgに達した体重は11月現在64kgになりました。
56kgになるまで、ひたすらやり続けます。

ギターはまだ練習しています。
これも、色々あったんですが、省略する。
家の近所に良さそうなギター教室があったので、前の教室は辞め、11月からそこに通って、ピックの握り方からやっています。
色々考えたんだけれど、まずは、きちんと弾けるようになろうと。

残業とトレーニングに時間を使うと、ギターができない状況です。物理的に無理です。
なので、会社の始業前と昼休みを使って練習することにしました。
練習用としてやっすいギターを中古で買いました。

今はひたすらこんな状況ですかね。
これ以外にもやってみたことなどあるんですが、ことごとく失敗したので、ここには書きません。

相変わらず、嫌なことばっかりだし、楽しいことなんてないし、誰にも認められないけど、なんとか生きています。
頑張ってもダメなことばっかりで、心が折れたり、悲しみでどうしようもなくなることは依然あるけど、
それなりに頑張って生きてるよって、今は言えます。

今日は、ゆかりんのFCイベントだったんです。名古屋。
ゆかりんは元気そうでした。
久しぶりに見たゆかりんは、やっぱりかっこよくて、俺が憧れたエンターテイナーでした。
見てる人を幸せな気持ちにさせたり、元気や勇気を与えたり。
あんなふうになりたいなぁ。
またそう思いました。

まずはひとつひとつ、やることをやっていこう。
すぐに結果が出なくても、誰かに認めてもらえなくても。
今は信じてやり続けるんだ。
他人に笑われたって、無視されたって、バカにされたって。
ナニクソチクショウ今に見てろ!ってやり続けてやるんだ。

自分を高めるために使った時間は、たとえすぐには報われなくても、誰かが飲み会やったりぼうっとテレビを見ていた時間より価値がないなんてことは、ないはずだから。

他人と過去は変えられないから

自分と未来を変えるしかねえんだなぁ!

最近そう思うのです。
他人や社会は確かにおかしい。不公平なこと、理不尽なこと、たくさんある。
だけどね。
誰かを、世界を呪って生きても、ただ辛いだった。
何ひとつ変わらなかった。
誰かが助けに来てくれるわけでもなかった。

だから、自分と未来を変えるしかないんだな。

職場に、苦手な人がいた。
その人にいつも「これお願いします」って持っていかなくちゃならなくて、それが嫌だった。
ただなんとなく、怖そうだから、苦手だった。
ある時、その人がロックが好きだと知った。
洋楽が好きだと。
それであるとき聴いてみたんだ。
「何かオススメのアーティストとかアルバムとかありませんか?」って。
それから練習していること、ギターの先生に昔の洋楽のロックを練習することを勧められていることとかを話した。
そうしたら、色々話してくれて、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルのCDを貸してくれた。
なんだ。簡単なことだったんた。
たった一言だけ、自分から話しかければこんなに変わっていくんだって。
自分の意識が。
たった あれだけ。たったあれだけのことで。

いつも行かなきゃいけない部署があって、そこが嫌だった。
そこのおばさんとお姉さんたちが、何だかすぐ笑うのだ。
ちょっとしたことでも笑ったりして、バカにしてんのかとすげー腹が立ってたんだ。
1回ブチギレそうになったこともある。
だけどもまぁ、別にバカにしてるわけでもないんだろうなと思う。
中学や高校のとき、笑われてバカにされて、生きてきたから。
そう思うんだろうなって。

だから、そう考えるのはやめた。
その代わり、俺が、笑わせることにした。
俺が、笑わせる。
俺が、笑わせてやるんだ。

そう思って、そこに行く前に笑わせてやると考えて、準備して行った。
これがハマった。
もともと彼女たちは何でもかんでも笑っているからか、ウケるのだこれが。

見ろっ…!ウケた…
ウケたぞっ…!

知ってるか?女の子を笑わせるって
すげー気持ちいいんだぜ

あぁ…こういうのがやりたかったのだ…
中学…高校…大学…
女の子と楽しくおしゃべりする
そんな機会はなかった
気がつけばいつも隅っこのほう

過去は変えられない
が、未来は変えられる

もうムカつかない
なぜなら俺が笑わせてるからだ
俺がそう決めて俺自身が行動しているからだ
悪いけど、時間をもらうよ
俺の練習に付き合ってもらうぜ

どうやら彼ら彼女らにとって俺はエリートらしいので
バカなことを言うくらいかちょうどいいのだ

それにこんなふうに生きたほうが 俺も楽なんだ
人に怒ったり憎んだりして生きるよりも

誰にも必要されてないんだって
自分なんていなくてもいいんだって
そう思うことがあるけど
それなら人を利用して生きてやる
自分のために生きてやる
そう思ったほうがさ
きっと周りともうまくやれるんだ

俺は変わることができる
学習して改善することができる
なんて素晴らしいことだろう

世の中には変われない人がいる
変わろうとも思わず
何を変えればいいかもわからず
そうやって流されて生きてる人、多いさ

もちろん
無理に笑わなくてもいいし、無理に変わらなくていい
でも
変えたほうが素敵な自分になれるんだったら
変えることにワクワクを感じるんだったら

やってみようぜ!

今はなんとなく何をどうすればいいかわかるんだ
そしてそれがわかると楽しい

受験勉強が楽しかったあの頃みたいな
そんな気持ちさ
たとえそれがほんの小さなことでも
他人には笑われるようなことでも
自分でやると決めてやったことが実ったとき
誰かに、何かに気持ちが通じたとき
それは最高に楽しいのだ


さぁ、変えていこう
ここから
他人と過去は変えられない
でも
自分と未来は変えられる

俺は俺のやり方で

俺は俺のやり方で
俺がやると決めてやる

色んなものを参考にはするけれど
これはブレちゃいけないのさ

やるのは俺
生きてるのは俺

俺は俺のやり方で
掴みにいく

これからは、この怒りや憎しみや悲しみを、人の心に届く形にして伝えるんだ

意識的に取り組んでいること、続きです。

・感謝する
できるだけ「ありがとう」と言ってみる。
人に言うのが難しければ、自分が使っているモノなどに言ってみる。
いつも支えてくれてありがとう。と。
モノだって誰かが作っているんだから、究極的には人に感謝していることにもなる。かもしれない。

・女性を使って会話の練習
女性はいい感じで会話できます。職場などでいろいろためしたところ、男性との差は歴然でした。男は基本的にダメです。
どうでもいい自分語り、自慢をベラベラベラーッとしゃべって終了。なんて男は実際たくさんいます。
女性はうまいですね。
うまく質問を使って、話を広げたりするのが、うまい。
非常にためになる。ありがとうございます。
男でもまともな人はいるけどね。
個人的な感想ですが、30過ぎて残ってるのはちょっとご遠慮したいなぁという男性が多いので、ああいう風にならないためにも、今変える、変えるんだ。

・自分でコントロールする
何事も、「オレがやると決めてやる」これを心がけています。
なんだって、やらされていたらつまらない。
自分のように「指図されたくない」人間は、逆に考えると、自分の意志でやる分にはオッケーなわけです。
実際そう考えてみたら、やりたくないことでも、少しはマシになりました。

・反面教師を参考に
職場に、いつもイライラしたり、人の悪口ばかり言う、批判的な人がいます。
話す内容も、ネガティブ・否定的なものばかり、卑屈です。人の話も聞かない。
で、実際、その人と話していると、めっちゃムカついてくるんですよね。
そりゃそうですね、こんなんじゃ。
それを見ていて、あぁ、自分自身がこんなんだったら嫌だなあ…と悟りました。
なので、もうあまりネガティブなことを垂れ流すのはやめています。
今気がついて、本当によかったなぁと思います。

・これからのこと
怒りや憎しみは、希望に変えたり、誰かの力になったときに価値あるものになるんだろうと思う。
この怒りや憎しみは、きちんとした形で誰かに届けられるようにやっていきたいと思います。
これからはね。
本当はそうしなきゃと、そうしたいと、思っていたんだけど。逃げていたんだ。結局ね。
今ようやく、本気になった。
やっと、スタートラインに立てた気がする。
だいぶ遅れてしまったかな。
これから取り返すさ。取り戻すよ。

今は、自分の中にある、「外に出したいもの」を形にする方法、「表現」の勉強をしています。

もう一度、今度こそ、やるんだよ!

足りないものを数えて嘆いたり、誰かを呪いながら生きるのは、もう。やめよう

通勤時間を使って読書をしている。
ここ最近は、自己啓発本の類いを読み漁っていた。

夢をかなえるゾウ

夢をかなえるゾウ

これとか

いろいろ読んでいたら、だんだん心がスッキリして、軽くなった。
自分はこれまで、他人や社会を憎んだり呪ったりして生きてきた。
気に入らないことがあったらイライラし、人に傷つけられた!と怒ったり、倍返しだ!といって傷つけたり、休みの日も一日中悲しみに沈んでしたりした。

そんな調子で生きてきたのだけど、8月の下旬あたりはとてつもない怒りがわいてきて、このままいくともう頭がどうにかなるんじゃないかというほどになったりした。

そのときは怒りや絶望が半端なかったんですが、本を読んでいくうちに変わってきた。
以前なら、本に書いてあることを実践するのは、「俺に指図するな」「バカバカしい」と思いできなかった(やらなかった)のだけど、乱読しているうちに、まぁ、自分で取り入れたいと思った部分だけでもやってみるか、と思いやってみたのだ。

そうしたら、変化が起こり始めた。
確かに変わり始めたのだ。
あれだけ人間を怨んで憎んで生きてきた人間も、ふとしたことで変わることができる、ものなんだな。
意識して取り組んでみたことを、あげてみる。


・笑顔をつくる
「笑う門には福きたる」「人は楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」「無理矢理でも笑顔の形を作っていると、脳が楽しいと錯覚する」
みたいなのは多数のビジネス書や自己啓発本に書いてありました。
なので、やってみることにしました。
鏡の前で「にっこにっこにー♪」をやったり、会社の人やコンビニ店員に笑顔であいさつしたり。

以前なら「愛想笑いなんてゴメンだぜ。ばかばかしい」と思ってやらなかったでしょうが、最初は発想を転換して、「歯を見せびらかす」ということにしました。
自分は歯並びがきれいらしいので、そんならたくさんのひとに自慢したるわ!と思って、ニィーッ!っと笑顔の形を作って歯を自慢することにしました。
ひねくれてるからこそできるユニークな発想ですね!
職場の人の歯を観察して、鏡を見て「確かに俺の歯イケてるなぁ…」ってやってました。
やってることはただの自慢と自己陶酔なのですが、客観的に見るとこれは「笑顔であいさつ」と「笑顔の練習(+自己肯定感の向上)」なので、最強ですね。

実感としても、これは気持ちが明るくなりました。ホントに。
それに。愛想笑いは、自分の意志ではなく他人に対しての反応として、やらされてやるものです。
この「歯を見せびらかす」というのは、自分の意志で、自分が気持ちいいからやることです。
その違いは歴然ですよね。

・他人は自分が人生を楽しむための脇役であり、なりたい自分になるための練習台と考える
え?と思うかもしれませんが、これは、一部のタイプの人間には有効かと。
要するに、人に期待しない、固執しないということです。
僕のようなタイプ、「この人に話しかけたら迷惑ではないか」「嫌われるのではないか」「自分はこれだけ相手にやってあげてるのに、相手は自分勝手で何もしてくれない」「いつも自分から話しかけたり誘ったりで、向こうからは一切ない」「断られたらどうしよう」「自分には何もしてくれないのにあの人には良くしてる」「この人にとっては自分よりも大切な人がたくさんいる。だから自分は必要ないんだ」
まぁこんなふうに延々と考えるわけですな。

そこで、発想を変えます。
他人は脇役であって、練習台と思う。
相手のためとか相手がどうとか一切関係なく、自分が暇だからこいつの時間を奪って俺のために時間を使わせる、会話の練習台として「使う」、人の持ってる知識や技術を盗む、全部自分のために、自分がそう決めてやる。
過激ですが、上記のタイプはこれくらい過激にやらないと、変わりません。
もちろん、態度や言葉に出しちゃダメですよ。考え方の問題。
まぁ上記のタイプは考え気を使いすぎるため、絶対に態度には出ませんが…。
こう考えれば、別に断られてもそんなに落ち込まないし(自分の人生の歯車のたったひとつなので)、自分が損してる感じもしないし、ダメだったら次の練習台を探せばいいだけ。
これくらい、自分勝手に考えるくらいが、ちょうどいいんだよ。
きみは、優しすぎるから。
きみをないがしろにしたりする人は、きみが夢を叶えたり幸せになったとき、その幸せを分かち合えない残念な人だ。後悔するだろうなぁ。
くらいに思って忘れましょう。

続く

人には向き・不向きがあるということ

最近はMIDI打ち込みのやり方や作曲の勉強していた。
だいたいわかった。
これで曲の作り方はだいたいわかった。
それがわかったので、やめようと思った。
えっ、なに、もうやめちゃうの?と思うだろう。
そうなのだ。まぁ理由はこれから話す。

実際、曲を作るにあたり、絶対に必要なのが「音感」と「リズム感」だ。
MIDI打ち込みはただの作業なんでそんなに難しくないんだけど、この音感とリズム感が厄介だ。
音感は音がドレミの何の音わかる感覚。
リズム感は、タタタタタタタタと性格にビートを刻める感覚。
両方、訓練すればできるようになるらしい。だけど。
その訓練の仕方が途方もなくめんどくさく感じる。

耳コピをしながら思った。多分これかなり時間がかかる。根気もいる。
だから、いったんやめることにする。
やり方はわかった。そこまではやった。ひとまずこれで十分。

なんとなくわかってしまったことがある。
それは、人には向き不向きがあるということ。

音楽や美術は自分は得意ではないのだろうと思う。
自分は絵が描けない。
昔、漫画が描きたくて、漫画の描き方、絵の描き方のドリルをやっていたことがある。
最初は線をまっすぐに引いたり丸(◯)を描けるようにするというところから。
でもこれが途方もなくめんどくさかった。
それに。
絵を描いている人に聞いたが、そんなことは一切やっていないという。
ただ見よう見まねで線を引くだけだと。
それで絵が描けている。プロだとそういうわけにもいかないのだろうけど、その人のものはきちんとした絵だった。

もっと練習すれば俺も描けるようになれるのかもしれない。
だけど、やっぱり、どうしても。
向き不向きはあるのだ。
有酸素運動は楽しいけど、筋トレは苦痛だ。
逆の人もいるだろう。向き不向きだ。

音楽は、絵のときよりは、できる気がする。
きっと頑張ればできる。
だけど今はやめるのだ。
答えは簡単、時間がないんだ。

自分は何がしたいか?
表現がしたい。
「向こう側」から来るもの、自分の中にあるもの。
怒りや憎しみ、悲しみ、絶望、愛や希望、勇気など。
そういう「向こう側」から来るものを、俺の力で人に伝えられる形にして伝えたい。
それが表現だと思う。音楽も漫画も。

残念なことだが、多分音楽や漫画は向いていないんだろう。
だからひとまずは、小説のほうに注力することにする。

多分、自分は漫画や音楽より小説のほうが向いていると思う。
(音楽はまだ諦めてはいないけど)

昔から、国語と英語はできた。
模試では偏差値70を超えることもあった。
国語と英語は、勉強というより、遊びみたいなものだった。
典型的な文系人間だ。
偏差値でいうと、国語70 英語70 数学55、みたいな人間だった。

数学は頑張ってもできるようにならなかった。
特に図形については意味がわからなかった。解答を読んでも理解できないので、ただただストレスがたまるだけだった。
公務員試験も数的処理という算数やパズルのようなものは頑張ってもできるようにならなかった。
相変わらず図形は意味がわからなかった。
「練習すればできるようになる」
あれは嘘だと思う。

向き不向きはある。これは、どうしようもない。

これを受け入れて、人より得意そうなことをやるほうがいいんじゃないかと思うのだ。
そう、時間が、もう時間がないから。

高校生のときはエッセイを書いて入賞した。
俺のやる気がなかったから、続かなかっただけだ。
たしかにやらなかった。やろうとしなかったが、振り返ってみると。
小説のようなものはときどき書いていたし、ブログはずっと書いていた。
それは苦にならなかったからだ。
少なくとも、絵の練習や、耳コピや、数学(図形)や、筋トレみたいに、全然面白くないし、ただただ苦痛みたいなことはなかった。

それなら、人より苦手ってことはないだろう。
評価3の美術や音楽にかけるより、評価5の国語や英語にかけたほうが、まだ勝ちの目はあるだろう?
大人になったら、時間がないんだ。


「小説なんてだれでも書けるよ」
でも実際書く人は少ない。
できなくてやめるかもしれない。
漫画や音楽のほうがかっこいいかもしれない。
でもまぁ、自分にはこっちのほうが向いてる気がするんだなぁ。

考えてみると自分は「言葉」というものが好きなのだろう。
音楽は、多分音じゃなくて、詞が好きなんだ。
漫画は、多分絵じゃなくて、台詞が好きなんだ。

もちろん、音と言葉が、絵と言葉が手に手を取り合ってすばらしい表現を生み出しているのだけど。
どちらかといえば、自分は「言葉」というものが好きなんじゃないかなぁ。

だから、とりあえずは小説のほうに進路を取ります。
こんなとりとめのない文章と違って、めんどくさいのだろうなぁ。きちんとやろうとすると。

でも。
もしダメでも、またなにかやっていくうちに、いつかは「これだ!」ってのが見つかるかもしれない。

とにかく、やってみなくちゃ始まらない。
これだけは確かな事実だ。
やってみなくちゃ、自分に向いてるのか向いてないのかわからない。

やってみなくちゃ、わからない。